年賀状がなくならない理由

Facebookでは年賀状の代わりはつとまらない

近況報告や新年の挨拶がSNSで出来ても年賀状は減らない

新年の挨拶は電子メールで代用出来るという嘘

ハガキは情報の伝達、通信の目的ですが、これが電子メールによって取って変わられている事に異存がある人はいないでしょう。ツールとしては電報も同じ運命を辿っています。アナログがデジタルに駆逐されていく代表的な例で、これは利便性によって淘汰される運命と言っても良いでしょう。活字もまたデジタルの利便性に勝てずに滅び、銀塩フィルムがデジタルカメラに駆逐されたのもごく最近の話です。しかし、滅びたのはあくまでツールであって、写真文化や文字の文化が滅びた訳ではありません。

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年賀状が減り続けている、陰りがあるという誤解

年賀状もデジタルツールに取って変わられる可能性があると思う人も少なくないかもしれません。その証拠に昨今年賀状の枚数が減っていると報じられているではないか…と思う人もいるでしょう。懐かしい人と出会うのもFacebookがあるじゃないか…と思う人もいるでしょう。しかし、年賀状は通信手段ではありません。そもそも年賀状の枚数が大きくふくれあがったのは高度成長時代です。少子化が進み、今のデフレの時代でこれだけデジタル化が進んでも、何十億枚と発行されている。これは既に文化として浸透しているからに他なりません。電子メールやSNSに押されているというのは単なるステレオタイプの伝聞の類いと言うしかありません。

年賀状は日本文化を具現化したもの

年賀状の本来の目的は近況を伝えるツールであり、挨拶であったり、旧交を温めあう道具です。この目的だけならFacebookでも、ある程度代用が可能かもしれません。しかし、年賀状は単なる利便性で片付くものではありません。100年を超える歴史をもつ文化であり、風物詩であり、エンターテインメントなのだと私は思っています。さらに言うならば、年賀状の文化とは、単にハガキの文化ではなく、営々と積み重ねて来た礼としての日本の文化そのものであり、年賀状はそれを具現化しているに過ぎません。例えば喪中はがきが、普及したのは昭和40年代で、年賀状の発行枚数の急上昇と同期しています。考えだしたのはハガキのメーカーで、歴史的には非常に浅いと聞き及んでいます。それが連綿と続いているかのように深く浸透している最大の要因は、元々あった日本の礼の様式を具現化しているからだと言えるでしょう。

年賀状は新たなステージへ

不幸があったのに、周囲にめでたいと言うのは先祖に対して礼を失するのではないか、或は不幸があったのに喪に服さないのは心良く思われないのではないか…と考える日本人のメンタリティが、喪中ハガキというツールをごく自然に受け入れたと考えるのが妥当です。年賀状も普及したのは近代であっても、その神髄は遠い過去にあるのだと思うゆえんです。極論を言えば、年賀状文化が廃れる時は、日本の文化そのものが崩壊するか、変質してしまった時だとも言えます。決してSNSでは補完は出来ても、代用がきくものではありません。

昨年の3.11の地震で、日本人の心が目覚め、年賀状は新たなステージにたつのかもしれませんね。この文化を大事にしたいものです。