安藤秀房さんの年賀状にこだわりをもつ自慢の年賀状の作り方と年賀状へのこだわりをエッセー感覚で。

安藤秀房さんの私の年賀状作法(私の年賀状コンテスト佳作)

年賀状の楽しみ

 

安藤秀房さん
もの書きをめざし十数年。落選回数なら誰にも負けない。通称、佳作男。

子供の頃の年賀状

子供の頃、内気で冬の寒さが台の苦手だった僕にとって、元旦の楽しみと言えば、家に引きこもり、テレビのお正月番組を観て、ごちそうをたらふく食べながら、友人からの年賀状をながめることだった。仲の良い友人から届くのは勿論嬉しかったけれど、日頃あまりつき合いのない友人から思いがけぬ面白い年賀状をもらうのも新鮮な驚きがあって、中々オツなものであった。パソコンもケータイもコピー機もない時代だった。年賀状くらいしか正月友人同士でコミュニケーションをとる手段はなく、自然届く年賀状は殆どみな手書きのものであった。当然僕も一言一句全て手書きで年賀状を書いてきたし、現在に至るもそうしている。

どうでえ。恐れ入ったか。エッヘン!威張って胸をはったら、妹に反論された。あんたは昔っから交友範囲が滅茶苦茶狭くって殆ど友達なんかいないじゃん!年賀状だって滅茶苦茶少ないから、一枚一枚じっくりと手書きできるのよ!このヒマ人!おっしゃる通りである。

枚数はそれほど多くはない

僕の書かねばならぬ年賀状の枚数など、妹のそれに比べたら微々たるものだ。昔の方がずっとたくさん書いていたが、一番多く書いた年でも三十枚は越えなかった。しかも、年々書く枚数は減ってきており、今では毎年十枚書くか書かないかである。それに対し、妹の交友範囲は極めて広く、毎年数百通の年賀状が届く。当然それら全てに対しお返しの年賀状を出さねばならぬ。おまけに妹は世にも忙しい女ときているから、ロクロク年賀状を書いている暇がない。いきおい、手書きではなく機械や印刷に頼る他ない。手書きする暇が有り余っている兄が妬ましく、小面憎くてたまらぬのであろう。

しかしまあ、妹にそこまで羨ましがられるほど、僕の手書き年賀状は大したもんじゃない。まず、字がどうにもならぬ程下手クソだ。ある人が。僕の字を見て言った。「中々クセがあって、面白い字だね。僕はこれ中々いいと思うよ」喜んでいると続けて「読める字だったら、もっといいと思うんだけどね」なんて言いやがるもんだから、ガッカリした。死んだ父も母も、字だけは上手かった。妹だってペン習字とかも色々やって、人並み以上にきれいで達者な字を書く。僕だけが下手クソで汚く、ピカソの絵みたいに一見すると意味不明な字を書く。それでも僕は年賀状だけは死ぬまで手書きで行くと決めている。いくら下手クソでも手書きの方が思いがこめられるし、相手に伝わるからだ。何よりも自分で書いた充実感が得られる。決して不器用すぎてパソコンもワープロもプリンターも扱えない負け惜しみからそう言うのではない。うん。確かにそうだとも!つっこまれると色々苦しいので、手書きの件はこれくらいにして。

印象深かった私信

年賀状をもらった時、読むのが一番楽しみなのは、やはり出してくれた人の私信だろう。紋切り型の「賀正」とか「あけましておめでとうございます」の部分に感動して涙を流す人はまずいないだろう。今までにもらった年賀状の中で一番面白くて印象深かった私信は、「昨年の十大ニュース」と銘打った、出した人が自選した身の回りの事件簿だった。遠く離れていて、普段はどんな暮らしをしているのか想像できない人も、この十大ニュースを読めば、その人が送ってきた一年間の生活や人生といったものが浮かび上がる。書こうとすれば無数にあるネタの中から十だけ選ぶというのは中々骨が折れるが、やってみると実に楽しい作業だと思った。

また表現にも工夫がいる。ズバリと核心をつき、ぱっと興味をひく言葉を使い簡潔にまとめねば、葉書一枚に収まるまい。しかしやり甲斐があると思い、僕は早速真似をして十大ニュースを年賀状に書いた。やってみると、他人を喜ばすだけでなく、それ以上に自分の為になる事がわかった。普段は特別変わったこともない、つまらぬありきたりで平凡な日日を365回繰り返していただけだと思っていたのに。じっくりと真剣に思い返してみれば、平凡極まりない1年に見えたものが、結構それなりに山あり谷あり波乱あり、思いがけぬハプニングてんこ盛りで、幸あり不幸ありの、変化と刺激に富んだ劇的な日々を送っていたことに、我ながら驚いた。

宣言効果は大きい

年賀状に書く十大ニュースということで改めて思い出し、活字にしなかったら、この貴重で大切な経験もそこから引き出せる教訓もまとめて忘れ、失っていたろう。思い出という大切な宝物の存在を、僕は再発見できた。その他に、僕は、今年の目標といったものを必ず一つは年賀状に書くことにしている。今年はこういうことをやります!と。1年の一番初めの日に、他の人に向かって宣言してしまうのだ。色々試してみて、このやり方が、もしも怠け者のオリンピックなるものがあれば金メダル確実。ほ乳類ではあるが、ヒトよりナマケモノに近いと言われた僕には一番効果があるみたいだ。

僕にもプライドや見栄はある。他人に言ってしまった手前、目標を叶えるべく、少なくとも1年は努力を続けなければかっこうがつかぬ状況へ追い込まれたら、他人様の目を常に気にして、なけなしの勇気と根性を振り絞って、目標に一ミリでも一ミクロンでも近づくべく、自分で自分の尻を1年位はたたき続けることができる。三日坊主ならぬ1年坊主への進化というべきか。

やっぱり年の初めだから、笑いも欲しい。そう思って、川柳とかユーモアに満ちた警句みたいな一文を、僕は年賀状に盛り込むようにしている。内容はなんでもいい。下手でもヘンでもいい。とにかく自分のアタマで考え思いついたことを、ありのままに書いてみる。「元旦や、日の出と共に、初屁の出」とか「飼う人なら、めんどうくサイより、すぐやるゾウ」とか。芭蕉や一茶だってこんなくだらない、しょーもない句は思い浮かばんだろうというくらいの作品の方が、むしろウケたりする。

自分自身が楽しむ

たかが年賀状、されど年賀状。大切なのは形式よりも、まず自分自身が楽しんで書くこと。その一事に尽きる。