日本近代小説の大家・夏目漱石(1867〜1916年)の未発表の俳句が和歌山市内で見つかったことが、10日分かった。
21日から県立博物館(同市吹上1丁目)2階で展示されることになった。小説「坊っちゃん」のモデルとなった尋常中学校で教師時代、漱石が同僚に書いたものだ。
今年5月、教師のひ孫に当たる遺族の女性(55)が実家で発見し、国文学研究資料館(東京)の野網摩利子助教が筆跡などから漱石のものと確認した。
全国的な注目を集めたことから、寄託を受けた同館が緊急公開を決めた。7月18日まで。
展示されるのは、末尾に俳句1句を添えた手紙(縦約16センチ、横約51センチ)、俳句1句ずつをしたためた短冊2枚(縦約36センチ、横約6センチ)、手紙から3年後の1899年に書いた年賀状(縦14センチ、横9センチ)。
未発表の俳句は「花の朝 歌よむ人の 便り哉」「死にもせで 西へ行くなり 花曇」の2句で、野網助教は漱石が愛媛時代には俳句に熱心に取り組んでおり「漱石の丁寧な人柄や、人間関係が分かる貴重な資料だ」としている。
手紙は熊本県の第五高等学校へ赴任が決まった漱石が、同僚教師の故猪飼健彦さんに宛てた。別れのあいさつに訪れたものの会えなかった猪飼さんが手紙を送り、漱石がそれに返答する内容。漱石は会えなかったことをわび、猪飼さんが手紙に添えた短歌を「永く筐底に蔵して君の記念と可致候」と書いている。俳句は漱石が短歌への返礼として手紙に添えた。
ひ孫の女性によると、手紙は俳句の書かれた短冊とともに掛け軸に飾られ、木の箱にしまってあったという。ほかに漱石から届いた年賀状も見つかり、2人の関係がその後も続いていたことがうかがえるという。
「永く筐底に蔵して君の記念と可致候」の言葉通り、一世紀以上もの間、木の箱に大切にしまわれていたというのは感動的。
2人の親交が深かったことも伺えるが、メールもSNSもなく交通手段も限られていた当時、
唯一の交流手段である「手紙」はとても大切にされていた事がよくわかる。
最近はどんなに仲の良い友人でも、年賀状を出さずにメールで済ませる、という事が多くなった。
100年先にもメッセージが残るというのは、手紙文化ならではの奇跡だろう。